イタリア旅行 : Il Mio Viaggio in Italia 1999


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ヴェネツィア

夕闇の中、列車の案内はヴェネツィアサンタルチア行きはメストレで乗り換えるように指示。
メストレでホテルを探そうと思って案内所に行くとしまってた。 扉には20時10分までと書いてある。ああ遅かったかと思って時計を見たら20時9分…今日は厄日?
仕方がないので近くのホテルに当たってみるも一杯だと言う。
で、電車に乗ってヴェネツィア本島に…。
何となく明日の朝到着したかったので、いや理由はジョジョ第五部で主人公チームは早朝の ヴェネツィアに車で向かうシーンがあるので…

ヴェネツィア本島の駅はヴェネツィア・サンタ・ルチア駅という。
ここのホテルの案内所は開いていた。ここの仕組みはまず20000リラ払って、 ホテルでは20000リラ分少なく払うと言う仕組みだ。
案内されたところは駅から近いところで、でも荷物が重くなってるのと、 雨が降ってるのでちょっとつらいかな。
途中でガンベロロッソで貰った袋がやぶけて中に入ってたプロセッコごと落ちた。
プロセッコは大丈夫だった。ガンベロロッソで貰った本は全部英語だったのでありがた迷惑ってところか。
ホテルはすんなり見つかって、中に入る。英語で説明してもらわなくていいのに…。
とくに数字はよくわからんので何時から何時までか言われたって… あ、10以下だったんでわかった。 でもブレクファーストが思い出せずなんかコンピューター用語だったかなと思ったのは内緒。
このホテルは電話が使えず、またもや接続不可能。しかしシャワーつきで久しぶりにのんびり。
とりあえず喉が渇いていたので何か飲む物を買ってこようと思ったがいかんせん9時を過ぎている。 ホテルの人に聞いたらこの先行ったところにBARがあるので行ってみたら?と言われた。
行ってみたら食料雑貨店があったのでそこでジュースをちょうだいと言ったら、 スプレムータはどうだと言う。スプレムータのほうが高いけどおいしいんだと言うんで、 5000リラでシチリアの赤いオレンジジュースを買った。
ホテルに帰ったら旅行記を書いてシャワーをした。昨日はシャワー出来なかったんで、 久しぶりな感じ。というか毎日結構汗をかく。そういえば今回がもっとも暑い?時期の旅行
これ以上暑くなると来れない気もする。暑いの苦手だしイタリアは冷房が少ない。
ついでにTシャツとパンツと靴下も洗った。パンツとTシャツは適当に乾かしてまたはいた。
新しいのにすればいいんだけど、着てたほうが早く乾くし。
と言うわけで寝た。
朝5時ぐらいに激しい下痢をした。
たぶんワインを飲み過ぎたからだと思う。腸が酔ったところに大量に食ったからだと思う。
一度寝たが7時半ぐらいに再度下痢。とりあえず落ち着いたがもう寝る気がないので、 もう一度シャワー。今度は頭は洗わなかった。
で、頭を見たらリンス流すの忘れてるし…
朝食を食べに1階へ行ったら、今一杯だそうで部屋に戻った。そこで数分旅行記の続き。
ブリオッシュとカフェラッテでイタリア風。
朝食を食べおわって荷物の格納に工面した。結局プロセッコは入らなくって、 スプレムータとともに持っておりた。ホテルの人にナイロン袋を貰って中にいれた。 荷物はホテルに置いてヴェネツイア散策。
まずはやっぱりサン・マルコ広場だ。ヴェネツィアではサン・マルコ広場と国鉄の駅はひたすら表示してある。
春のヴェネツィアはやっぱり少し匂う。運河の泥の匂いだ。前回来た時の記憶は無いけど、 注意してみると潮の匂いより泥の匂いがする。ホテルの水も少し泥臭かったし。
歩いていると小さな広場に出た。ヴェネツィアの小広場はジョジョの5部に出ていた雰囲気で、 マンガで見た時はそうでもなかったがいざ実際に見ると、 どこの小広場もここが元ネタではないかと思われる。
もっともナポリやローマ等でわかるけど実際に元ネタになった場所でもかなり実際と違うので、 特定できないと思う。
それから、カナル・グランデ(大運河)をにかかった木の橋を渡って更に歩くと広場の一番奥に出た。
この広場自体は私の中でもシエナのカンポ広場と並んで好きな広場の一つだ。
いやデザイン的にこの広場のほうが好きかも
ちなみにサン・マルコ寺院の方は好きじゃない寺院かもしれない。
次に目指すはサン・ジョルジョ島。これもジョジョがらみ。組織のボスがいたところだ。
サン・マルコ広場からすぐの対岸にある島に渡るにはヴァポレットを利用する。
一回6000リラだ。結構高い。
ヴァポレットを待っていたら82番はここじゃなくてあっちだと言われ、あっちに行った。
そこで待ってたら、何やら英語で説明するおじさんが来てみんなどっか行ってしまった。
で、人も少なくなってぼーっとしてると、表の注意書が目にはいった。
昼の間の便はここより50M左に行ったところから出ると書いてある。
そこは夜の便専用だったらしい。ってなんじゃそれ。そんなの反則。
一緒に待っていたシニョーラもどうやらわかって無いらしかったので説明してあげた。
ようやくヴァポレットに乗れて、いよいよサンジョルジョ島へ。
この島はどうやら教会だけのようで、さっそく中に入ってみた。
まあ、なんてことの無い教会だ。 もちろんヴェネツィアで活躍した画家の絵で装飾が施されている。 ここで重要(笑)なのはやはりジョジョの足跡をたどることでいってみた。
奥に入ると鐘楼への入り口があると言う。どうやら鐘楼へ昇れるらしい。
おお、ここでブチャラティとトリッシュがと思うと凄くわくわくした。
なんとエレベーターまでちゃんとある。期待して無かったのに。というのも、 こんなところにエレベーターなんて無くて、 ジョジョの作者の荒木氏はおそらくサン・マルコ広場の鐘楼を参考にして描いたんではないかと勝手に思ってた。
それからエレベーターに乗ってみた。これ自体は全然漫画とは違って内装はアルミで鏡つき。 イタリアの住宅によくあるような感じだ。
中で3000リラ払うと上まで連れて行ってくれる。そうエレベーターに集金係が乗っているのだ。
上まで上がるとサンジョルジョ島はもとよりヴェネツィア本島やその他の島が見渡せて かなりいい感じ、ヴァポレットの一日乗船券を買ったらぜひここのに昇るのがおすすめ。 たしかサン・マルコ広場の鐘楼はもっと値段が高かったはず。
ひとまず見渡したら降りて、今度は教会の地下を探してうろうろしてみた。
見つからない。よく考えたら、島の地下って水が溜まりそうではないか。無いのかもしれない。
でも、本で見た時に地下の元ネタのデザインも見かけたんでにたようなものがあるのかもしれない。とりあえず亀に部屋があるぐらいなんで、教会の地下自体何らかのスタンド能力でできていた可能性さえあるのだ。
それから、本島に戻る前にうろつこうとしたけど、 ヴェネツィアの現代美術の展覧会がある所に迷いこんだ。8000リラしたんでやめた。

本島に戻って、まともな観光(笑)。ドゥカーレ宮殿にいった。
入場料17000を払って中に入ろうとしたところ、変なものが目につく。
自動ガイド機だ。これは電話に棒がついたような感じで、 各部屋についた番号を入力したらそれに応じた説明が聞ける代物らしい。
自分のペースで見て回れると言うのが売りらしい。
よく見たら取ってつけたように各国語の欄の一番下に手書きで日本語もあることが示されている。
これは完全に悩みがふっきれた。イタリア語だけだとちょっと悩んでたところだ。
辞書を持ち歩いてないのでワインや食べ物の説明じゃないとわからない専門用語が多いはずで、
さすがに苦しい。これに7000リラも払う気はしない。
機械の説明はイタリア語でしてもらい、パスポートの提出をした。
帰りはここに持ってきたらレシートをみせろと言う。なんのことやらわからないが、 まあ借りられたのよし。
心強いガイドも得たことだし、さあ、出発。
ところが、二番と三番は修復中だときいたけどいきなり何故か四番から。
まあそんなことは気にせず進んでみた。
中庭から入ってどんどん進んでなにやら一杯見た。
説明はいいんだけど天井画が多くてめちゃくちゃ首が疲れる。 これは一気に聞かずに途中にポーズを押すことをおすすめ。
でも、説明自体は必要十分でとても面白い。ただときどきどの番号かわからなくなったり、 見るべきものを見失ってなんの説明かわからないところがあったりする。
巻きもどし機能が欲しい。
でも他の日本人も全く同じペースで持ち歩いてて結構おかしい。全然自分のペースになって無いような…
ドゥカーレ宮殿を一通り見たら、機械を返してサン・マルコ寺院へ。

この教会は薄暗くてゆかもうねっていて、歩けるところも限られていてあまり好みじゃ無かったのですぐに出た。出たら雨が降っていたので広場のまわりの廊下で西欧最古のカフェだったはずのカフェ・フローリアンをさがす。
ここで写真を撮ろうとしたら、バリスタの兄ちゃんが来て写真を撮ってくれた。 それから帰ろうとしたけど、ふとマンダリーナダックが近くにあるのを地図で見て、 唐突に行ってみた。
そこでリュックを探したら、いろいろだしてくれたので最新のTASK BAGというのを買った。
これでホテルに帰ってとおもったけど途中で一寸寄り道。 カナルグランデの入り口の教会をみて戻った。
時刻はすっかり17時を過ぎていたので少しやすんだあと駅へ戻った。 次の電車は18時58分発で、これまた時刻通りだった。


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15/04/99 A cura di I'Cirou Takao