イタリア旅行 : Il Mio Viaggio in Italia 1999


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ミラノ

電車は思いっきり定刻通りミラノについた。ステーファノが駅まで迎えに来てくれた。 このあとアンドレアに電話して明日会うことに決めた。
そしてようやくネットに繋ぐことができたんで、電車の中で書いた旅行記をアップロード

[4月14日]
この日は朝から晴れていてとても暖かい。 というわけで、レオナルド・ダ・ヴィンチ科学博物館に行ってみた。
実に8年ぶり。

博物館の入り口はきれいになっていて日本語のパンフレットもあってかなり近代的。
前回来た時は入り口がわからず、 途中の入り口じゃないところから侵入してしまったのとは大違い。
で、まずは地下。ここは発電機の歴史とか、いろんな金属の精錬法の部屋がある。
さらに乗り物の歴史、自動車やバイクや自転車などが置いてあった。
昼はCarbonaiaというリストランテで、ビステッカフィオレンティーナを食べた。
そろそろまともな料理店で食べないとねえとか、Web伝言板に書いたのを思い出したから。
プリモはpenne "Carbonaia"、セコンドがビステッカフィオレンティーナ、
ワインはGAJAのドルチェット・ランゲ。ドルチェは無しで、カッフェのみ。
今回初の10万リラ越え。
夜、アンドレアにあった。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリーアのマクドナルドで 待ち合わせて、「マクドにする?」と言われたけどマクドは嫌だったんで、 「ピッツァが食べたい」 と言う。 すると「おいしいピッツェリーアはこのあたりには知らない。 友人がおいしいと言ってたピッツェリーアが新居の近くにあるのでそこに行ってみよう」と アンドレア。
ドゥオーモのそばからトラム(路面電車)に乗って南のほうへ10分ぐらい。
停留所を降りたら、アンドレアは「間違えた」といってもう少し歩いた。
歩いてる途中に派手な格好の女の子を発見。ああ、これがアレか。
ピッツェリアで、メニューを見たら大量のピッツァが書いてある。
では4フォルマッジを注文。チーズが多いのでお気に入り。 で、カメリエーレ(給仕)に注文すると数回言っても通じない。 なぜと思ったら、「ああ、ピッツァか」との言葉。
ここは普通の料理も置いてあって、別のと聞き間違えたらしい。
ここのピッツァはまあ、ナポリには及ばないにしろおいしかった。
それから、食べ終わったらしゃべりながら歩く。
時刻表を見たらトラムは当分来ないみたいなんで、歩こうということに。
さっきの女の子はまだ立って居た。客が来ないようだ。
どんな客が来るのか?と言うと「多分、結婚してる人」だそうだ。
それからトラムが来たんで乗ったら、すごく古くていい感じのトラムだった。
昔の阪急の今津線を思い出すような。
トラムを降りて、ポルタ・ティチネーゼに。 それからナヴィリオと言われる運河のある一帯を散歩。
ポルタ・ティチネーゼを越えて、トリノ通りでドゥオーモまで歩いた。
ステーファノの家に戻ると写真付きで今日の報告。
VAIO大活躍だわ。
[4月15日]
この日は昼までステーファノの家に居て、いろいろしてた。
特にいろんな事を喋ったりした。
昼は買い物をしに出かけた。まずはコルソ・ブエノスアイレス(Buenos Aires)から少し 離れた所にある「大和」と言う店で、イタリア語版ジョジョの単行本を買う。
頼まれ物の2冊(頼まれたのは1冊だけど)を含む10冊を購入。
マンダリーナ・ダックを見たり、スーツをかったり、Nara Camiceでシャツをかったり、 ルイビトンに妹からの頼まれものを買い物に行った。
夜は7時ぐらいに戻って、ステーファノの友人アレクシアと中華を食べに行った。
シューマイがラヴィオリで春雨はスパゲッティで、 春巻はインヴォルティーニ・プリマヴェーラだったと思う。
チャーハンはリゾットなんちゃらになってた。
中国語のメニューのほうがわかるかなあと思ったけど、イタリア語のほうしかわからなかった。
中国語のほうには英語も書いてあったけどそっちはさっぱり。食べ物の単語なんてわからない。
そこではワイン、バルベーラのフリッツァンテと春巻、シューマイ、 謎のチャーハン(特別でおいしい)の7b(名前がわからないので番号)を食べた。
ひとり1500円ぐらいで安かった。中華もいいかも。
食事中はVAIOでアレクシアに写真を見せた。 アレクシアは叔母の仔犬の写真がすごく気に入ってた。

[4月16日]
朝、Bataで靴を購入。その後いったんステーファノの家に戻る。
家にはおばあさんが留守番してるのだけど、ブザーを何度も押さないと聞こえないと 言われてたので15分ぐらい押した。ようやく開いたドアの中で彼女が言った言葉は、 「トイレは入ってたのよ」だって。失礼しました。
それから荷物を置いてすぐに出て、母親の友人に実に6年ぶりに会う。 別にそれだけミラノに来てたわけじゃないけれど。以前お世話になったのでやはり重要だ。
いろんな話を聞いたけど、ミラノ日本人商工会の調べではひったくり以外のスリ、置き引き、 詐欺などの犯罪件数がイタリア一になってるそうだ。
ちなみにひったくりがナポリの名物というのは揺るいでないらしい。
そして彼は食事中に息子の話をしてくれた。ロンドン大学の経済学部に入ってると言う。
長い間有ってないのでもうそんな都市になってるんだと思うと同時に、 自慢話を聞かされてるんだなあと思ったけど、 やっぱり成功してる人の自慢話はいい話だし、本当に嬉しそうなんで嫌みがなくていい。
他はうちの近況とか、太ったてるので運動したほうがいいといわれた。
それから、ドゥオーモのほうに向かっていった。
リナシェンテ(La Rinascente)でALESSIのリリパットという塩胡椒入れを買った。
これは、友人の誕生日プレゼント用。
晴れて来たのでドゥオーモの上に昇った。 その後、ワインを買いに昨日購入したガイドをもとに移動。
まず、Enoteca Ronchi(エノテカ・ロンキ)という店に行った。
ここは地下鉄サンタンブロージョ駅(S.Ambrogio)から少し歩いた所にある。
表の通りに看板が出ているのだか、とりあえず一端行き過ぎてしまい戻ると、
エノテカはパラッツォの地階に有って、 中に入るにはインターホンを押して入るようになっている。
事務所のような所に婦人とおじさんが居て、奥に棚が有ってワインが一杯置いてある。
リストを見せてもらって、椅子も用意してもらった。
そして、リストを見ながら棚のワインを見る。リストを見てもよくわからなかったので、 買うと言うのも決まってたので、「Gambero Rossoを見せてください」といって、 本を見ながら買うのを決めた。
Sassicaiaが欲しかったので聞いてみたら、ないといわれた。
棚にあっても値札が付いてないのは売ってないらしい。
つまり、リストに有って棚にあるのが在庫らしい。
それから急ぎの客のせいで後回しにされたあげく(いや、急いでないしゆっくり聞きたかったし)
アンドレアに会えなかった。

[4月17日]
あさ、出発。マルペンサに向かう


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05/06/99 A cura di I'Cirou Takao