イタリア旅行 : Il Mio Viaggio in Italia 2002



ナポリ:Napoli

12月31日

インテルチティはほぼ定刻の10時にナポリについた。 ジミーと別れて観光案内所に行ってホテルのリストはないか聞いたら無いと言われた。 しょうがないので、地球の歩き方に乗ってるところを当たってみたけど空いて無いと言われた。 駅の近くで探してみようと思い近くにある★★以下のホテルに聞きまくった。 と簡単に書いたけど、最初に行ったホテルは今ちょっとわからないので12時になったら来いといった。 しょうがないので荷物を背負ったままうろついてたら雨が降って来てやんだと思ったら突然のすごい雨。 さらに強風とどうにも動けなくなること数回。 その間にもいろんな友人に電話をかけたりしたがつながらない。 困り果てて、マウロに電話したら家で昼飯を食おうってことに。 1時にリナシェンテの前で会う約束をして、ひたすらホテル探し。 11時半にさっきのホテルに行ったがどうも空いて無かったらしい。なにが起きてるのか全くわからない。 しかも、また大雨。ホテルの前で雨が止むまで待ってリナシェンテ前へ移動。 ホテルが決まって無いので大荷物をもって国立博物館前を通っていったら一時間ほどでついた。 時間が余ってるので、トレド通りをうろついてマウロを待った。
それからマウロの家に行って、電話帳からホテルを探してもらったが、どこも満室。 どうもイタリア中からナポリを見にくるらしい。考えることは同じか… 色々考えたあげく、とりあえずアントニオは居ないけどアントニオの家で寝ることになったらしい。

昼食をみんなと済ませて、みんなと言うのはマウロの彼女のラケルとその妹のラウラ、 マウロの甥のマルコとシモーネ、それにマウロの両親。
私がソニー製品を結構持って来てたんで、マウロのお父さんが昔のソニーのラジオをもって来た。
「これはイタリアで最初にでたラジオで1965年の物だ」
昔の製品なのに奇麗なデザインでまだ動くらしい。すごい。 その後みんなで私のコンピュータに入ってる写真を見たり、 マウロのインテルコレクションをみたり昼寝したり。

ひとしきり寝てたら、 なんか人が増えててマウロの従姉妹アレッサンドラとか兄弟でマルコ達の親セルジョとか増えてた。 しかも、アントニオの家は別の親戚が泊まることになったらしくてだめなんで、 寝袋でよかったらここで寝るかってマウロが言った。まあ、壁と屋根が有ればどこでもいいです。 で、夜10時ぐらいから食事、ラウラが手伝ったピッツァ(カルツォーネ)とか、 コテキーノ(ソーセージの一種)やレンティッキエ(レンズ豆)を食べて、 デザートにはカンノーリ。 その後は花火の準備。 何度か書いてるけどイタリアでは年明けに合わせて花火をあげるのはもちろん、 家の中で花火をしたりするのだ。 プレビシート広場で催しがあるらしいけど、 行くのは花火や窓から物を捨てる人が居て非常に危険なんで12時が過ぎてから行ったらいいと言われた。

1月1日

今年はマウロの彼女がスペインのカタルーニャ地方の人なんでそこ風で行こうということになり、 12時が過ぎたらなる12回の鐘の音に合わせてブドウを一粒ずつ食べると言うのをやった。 鐘の音はかなり早くてブドウを食べるのが間に合わない。最後は放り込むだけ。 それから大急ぎで食堂に行って花火に火をつけて、クラッカーを鳴らして、 アウグーリと叫びつつキスとイタリア式で。 そとは爆竹やら花火やらそれに反応した車や建物の警報音、救急車で大変な騒ぎ。 まるで戦争。いま、爆弾が落ちてもだれも気付かない気がする。 30分ほど過ぎてひとしきり落ち着いた所で、外に出ることに。 外はまだ爆竹を点けて喜んでる人々がいる。 オイル缶みたいなのが落ちて来て大爆発するし結構危険。巨大な爆竹の残りが燃えてるし。 ネズミ花火が走り回ってる。 プレビシート広場まで行ったら、人はもうほとんど居なくて後の祭りというか祭りの後。 すぐにマウロの家に戻った。 で、肝心の寝床はと言うとベッドを二つつなげてマウロとラケルとラウラが寝て、 私はラウラが寝ていたベッドを隣の部屋に持って行って寝る事に。 寝る前にラウラが名前を日本語で書いてと言ったので持って来た筆ペンで書いてあげたら大喜び。 ついでに持って来た名刺やら五円玉やイタリアにもあるらしいけど消しゴムで消えるボールペンをあげた。 なんやかんやで寝るのは2時すぎだった。

起きたのは10時すぎ。昨日とはうってかわっていい天気だ。 マウロのカメラがメモリースティックだったんで、 私のコンピューターからメモリースティックに写真を移して、 マウロのカメラからマウロのコンピューターに移すことができた。 なにしろマウロのコンピュータはウィンドウズ98だったんで、持って来たMuvoが使えなかった。 めぐみーなさんからメールが来ててなんと鞄がひったくりに有って、 電話もいっしょに盗られたとか。私の電話番号も電話に入ってるのでメールしか連絡手段が無かったらしい。 どうりで、いくらかけても何の反応もないわけだ。 代わりの電話番号に電話して、明日の朝に会うことにした。
マッシモの家で昼食を食べるということで移動。
マウロが地下鉄のダンテ駅まで送ってくれてそれからキアイアーノまで乗って、 そこでマッシモが待ってるらしい。 地下鉄のリネア・ウーノ(linea 1)は去年ちょうど私がナポリを去った直後にチェントロまでできたので 乗るのは初めてだ。
駅はすごく奇麗。でも電車は汚い。郊外の路線は前から有ってそれが走ってるから。 キアイアーノからマッシモの家まで車で10分強。 マッシモはナポリまで行くバスの停留所や姉のカルメンの家とか教えてくれた。 マッシモは明日から仕事で私は一人で出かけなければいけないから。 マッシモの家にはマッシモのお母さんと甥のジュリアーノと姪のマリアキアーラ、 姉のカルメンと彼女の夫が居た。 ちなみにシャム猫のキッカも健在。 マッシモは私のコンピュータに入ってる、 自分や友達やジュリアーノの写真を欲しいっていったけどやっぱりウィンドウズ98だったんで、 写真がコピーできない。あとでメールで送ることにした。 で、昼食。ラヴィオリやサルシッチャを食べてそれから外に出ることに。 車でヴォメロまで半時間ぐらいだった。 以前のマッシモの家の近くに居るクリスティアーノや初めて会うマリアーノと一緒にうろうろ。 そのあとマルコの彼女のマリアの家に行った。 マリーアのお父さんは芸術家らしく家の中がまるで現代美術館の一室。すごい。 そのあと白黒の人々が色つきの人を迫害すると言う変な映画を見てマリアーノの家に移動。 マリアーノの家で食事。ラヴィオリやサルシッチャを食べた。 マリアーノの家のPCもウィンドウズ98だったけど、 プリンタが複合機でスマートメディアのスロットが有ったんで、 マリアーノのPCにコピー、それからマリアーノがマッシモにメールで送った。 それからマッシモの家に帰って1時半ぐらいに寝た。

1月2日

めぐみーなさんは10時45分に着く電車で来るらしいので朝9時すぎにマッシモの家をでた。 停留所について160番のバスがすぐ来たんで飛び乗ったらどうも逆方向らしい。 運転手に言って反対側のバスに乗り換えて、カブール広場に着いたのが10時半ぐらい。 道が結構混んでたので1時間かかった。めぐみーなさんから電話が有ってマクドで待ってるとのこと。 カブール広場から中央駅まで結構遠いのと、まっすぐ中央駅に行ってる道に行けなくて15分ぐらい遅れた。 ウンベルト一世通りをカステルヌオーヴォまで歩いてジェラテリア・グリーンガーデンでジェラートを食べようということに。 しかしジェラートはまだらしくて、またあとにしようと言うことに。
それからトレド通りにあるナポリマニアと言う店に行こうとしたけど見つからなかった。 トレド通りを戻る途中に、大道芸人が居て、女の人で、 ガラスを敷き詰めたうえで逆立ちしたりしてた。 しかもめぐみーんさんが選ばれて上に乗ってたし。 めぐみーなさんオススメのピッツェリアは並んでたんで、 ロザーティという所でピッツァを食べたけど、外にメニューがなかって入ったら結構高かった。 十分おいしかったけど。 その後、めぐみーなさんを駅まで送って行く途中にめぐみーなさんのミラノの友達に偶然会って、 何でこんなところにということに。彼は帰省中だったらしい。 駅に着いたら電車がすぐあったけど、切符の刻印機が近くに無かったので改札まで戻ったら、 目の前でドアを閉められた。不必要なぐらい時間通りだった。
それから6時にアントニオとガッレリーアで待ち合わせた。 途中ドゥオーモを見たら、地下に遺跡があるらしい。今回は時間がないのでパス。 そのままぼうっと歩いてたら、カブール広場の方に行ってしまったんで適当に戻ったら 思いっきりスパッカナポリ。もう暗くなってたのでちょっと恐かった。 アントニオに会って、ベネトンと新しくできた本とCDの店に行って、アントニオの家に行って、 彼のお母さんにあいさつして、犬のブルーに舐められて、NOKIA7650と自分のPCをbluetoothで接続して、 チレア駅まで送ってもらってマッシモの家まで帰った。 晩飯にラヴィオリと七面鳥を食べて寝た。

1月3日

朝6時半に起きて、7時すぎにマッシモの家を出た。7時58分の快速でローマに行く。
マッシモがアヴェルサ駅まで車で送ってくれてを出発。電車は約10分遅れで来た。



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03/01/2003 A cura di Ciro