昼食をみんなと済ませて、みんなと言うのはマウロの彼女のラケルとその妹のラウラ、
マウロの甥のマルコとシモーネ、それにマウロの両親。
私がソニー製品を結構持って来てたんで、マウロのお父さんが昔のソニーのラジオをもって来た。
「これはイタリアで最初にでたラジオで1965年の物だ」
昔の製品なのに奇麗なデザインでまだ動くらしい。すごい。
その後みんなで私のコンピュータに入ってる写真を見たり、
マウロのインテルコレクションをみたり昼寝したり。
今年はマウロの彼女がスペインのカタルーニャ地方の人なんでそこ風で行こうということになり、
12時が過ぎたらなる12回の鐘の音に合わせてブドウを一粒ずつ食べると言うのをやった。
鐘の音はかなり早くてブドウを食べるのが間に合わない。最後は放り込むだけ。
それから大急ぎで食堂に行って花火に火をつけて、クラッカーを鳴らして、
アウグーリと叫びつつキスとイタリア式で。
そとは爆竹やら花火やらそれに反応した車や建物の警報音、救急車で大変な騒ぎ。
まるで戦争。いま、爆弾が落ちてもだれも気付かない気がする。
30分ほど過ぎてひとしきり落ち着いた所で、外に出ることに。
外はまだ爆竹を点けて喜んでる人々がいる。
オイル缶みたいなのが落ちて来て大爆発するし結構危険。巨大な爆竹の残りが燃えてるし。
ネズミ花火が走り回ってる。
プレビシート広場まで行ったら、人はもうほとんど居なくて後の祭りというか祭りの後。
すぐにマウロの家に戻った。 
で、肝心の寝床はと言うとベッドを二つつなげてマウロとラケルとラウラが寝て、
私はラウラが寝ていたベッドを隣の部屋に持って行って寝る事に。
寝る前にラウラが名前を日本語で書いてと言ったので持って来た筆ペンで書いてあげたら大喜び。
ついでに持って来た名刺やら五円玉やイタリアにもあるらしいけど消しゴムで消えるボールペンをあげた。
なんやかんやで寝るのは2時すぎだった。
起きたのは10時すぎ。昨日とはうってかわっていい天気だ。
マウロのカメラがメモリースティックだったんで、
私のコンピューターからメモリースティックに写真を移して、
マウロのカメラからマウロのコンピューターに移すことができた。
なにしろマウロのコンピュータはウィンドウズ98だったんで、持って来たMuvoが使えなかった。
めぐみーなさんからメールが来ててなんと鞄がひったくりに有って、
電話もいっしょに盗られたとか。私の電話番号も電話に入ってるのでメールしか連絡手段が無かったらしい。
どうりで、いくらかけても何の反応もないわけだ。
代わりの電話番号に電話して、明日の朝に会うことにした。
マッシモの家で昼食を食べるということで移動。
マウロが地下鉄のダンテ駅まで送ってくれてそれからキアイアーノまで乗って、
そこでマッシモが待ってるらしい。
地下鉄のリネア・ウーノ(linea 1)は去年ちょうど私がナポリを去った直後にチェントロまでできたので
乗るのは初めてだ。
駅はすごく奇麗。でも電車は汚い。郊外の路線は前から有ってそれが走ってるから。
キアイアーノからマッシモの家まで車で10分強。
マッシモはナポリまで行くバスの停留所や姉のカルメンの家とか教えてくれた。
マッシモは明日から仕事で私は一人で出かけなければいけないから。
マッシモの家にはマッシモのお母さんと甥のジュリアーノと姪のマリアキアーラ、
姉のカルメンと彼女の夫が居た。
ちなみにシャム猫のキッカも健在。
マッシモは私のコンピュータに入ってる、
自分や友達やジュリアーノの写真を欲しいっていったけどやっぱりウィンドウズ98だったんで、
写真がコピーできない。あとでメールで送ることにした。
で、昼食。ラヴィオリやサルシッチャを食べてそれから外に出ることに。
車でヴォメロまで半時間ぐらいだった。
以前のマッシモの家の近くに居るクリスティアーノや初めて会うマリアーノと一緒にうろうろ。
そのあとマルコの彼女のマリアの家に行った。
マリーアのお父さんは芸術家らしく家の中がまるで現代美術館の一室。すごい。
そのあと白黒の人々が色つきの人を迫害すると言う変な映画を見てマリアーノの家に移動。
マリアーノの家で食事。ラヴィオリやサルシッチャを食べた。
マリアーノの家のPCもウィンドウズ98だったけど、
プリンタが複合機でスマートメディアのスロットが有ったんで、
マリアーノのPCにコピー、それからマリアーノがマッシモにメールで送った。
それからマッシモの家に帰って1時半ぐらいに寝た。
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