イタリア旅行 : IL Mio Viaggio in Italia 1998

La pagina di casa di I'Cirou TAKAO

私の最新のイタリア旅行についてです。思い出しつつ作成中。

Pescara:ペスカーラ

ペスカーラへの道

アンドレアがミラノから復活祭休みでペスカーラの実家に戻って来てるそうなんで
訪問することにした。携帯で彼には連絡済みだ。
今回はミラノまでは行く元気が無かったので、彼に会えるのは凄く嬉しい。
もっとも前回は彼はペスカーラに居たのだけれど
バスのお金を払うと少し眠った。バスは休憩地点ロッカラーゾ(Roccaraso)に着く。
ここのバールでピーチティーを飲んでトイレ。アントニオはここで何か食べれば
と言っていたが、体したものが無いのでパスにした。
バスの道中はアブルッツォのきれいな景色を見つつ、暇つぶしにTCIのガイド本を
読んでいた。バスが通る街道沿いの街の名前をガイドで確かめると行った
気分に慣れて面白い。

ペスカーラ

4時間かかってペスカーラについた。バスの外には・・・アンドレアとファビオと
アンナリーザが居た。ちゃんと迎えに来てくれてた。
アンドレアの家に行くと彼の母親と再開。彼の両親はこれから聖金曜日なので、
外に出るという。
我々は皆で何か食べに行くことにした。そう、名物アッロッスティチーニも!!
そこにニコラが車で迎えに来たのでさあ出発。

聖金曜日

ファビオやアンナリーザとまちあわせ、もう一人のニコラが来るのを待った。
もう一人のニコラは銀色のホンダシビックに乗っててアンドレアと私はそっちに乗った
一路、アッロッスティチーニを食べにキエーティの方へ。
レストランに着いたさあ食べるぞ。しかし、「今日はジェラートしか無いぞ」と
店の人の声。
なんで?「Venerdì Santo(聖金曜日)だから」
パスクワの前の金曜日は聖金曜日で肉を食べないそうで。
さ、しかたが無いのでニコラが他の店を知っているらしく携帯で店に電話かけた。
どうやらやっているようだ。さっきの店を「信心深すぎる」と罵りつつ、かなり離れた
チッタ・サンタンジェロに向かう。キエーティの近くからペスカーラを通り、チッタ・
サンタンジェロヘ。この町はさっきのTCIのガイドによると昔はアングルスと呼ばれたらしい
アングルスとはアンジェロは互換がにてるけどなんか関係有るんだろうか?そこまでは
書かれてない。見所はサン・ミケーレ教会だそうだ。

アッロスティチーニ

車は道沿いのお店で止まる
「さっき電話した、もんだけど…」というと案内された。お店は一見バールの様だったけど、
奥にテーブルが有る立派なレストランで昔の料理道具のようなものが所狭しと棚に飾ってあった。
壁には創作ピッツァコンテストでグランプリを獲った時の新聞が貼ってあって、どうやら、
この店はピッツァにも自信が有るようだ。
う〜む、アッロスティチーニもいいけどピッツァも食べたい、頼んでしまえ〜。
勢いでピッツァは好きなクアットロ・フォルマッジを頼む。ワインはどうすると私に聞いたんで
アブルッツォだからやはりここはモンテプルチャーノ・ダブルッツォ!!
でも一人で一本飲むのもなあ…と思ってたらアンドレアが助け船。「飲むなら僕も飲むよ」
で、カメリエーレ(給仕)がワインを持ってきたらデグスタツィオーネ(味見)を頼まれた。
まあ、私が飲もうと言った手前しかた無いけどね。ワインはなにやら色が薄い。
「チェラスオーロだ」アンドレアが言った。思い出した。「モンテプルチャーノ・ダブルッツォ」
のロゼはこういう副表示になる。ヴァルポリチェッラの「キアレット」の様に。
うんうん、これがチェラスオーロか。日本では見た事無かったのでちょっと嬉しい。
アンドレアのピッツァ そのうちピッツァも来た。大きい。う〜ん満足。アンドレアのは包み風になってる。
「なんてなまえ?」って聞いたら、「忘れた」だって。創作ピッツァかな?
ジャガイモとかトマトとか形を残したままで二枚重ねのピッツァ生地に中に挟まれている。
おいしそう。「ちょっと食べてみる?」とアンドレアが言うので
「モッツァレッラが有るところ」といって貰った。
でも、アンドレアはチーズアレルギーなんで交換で私のピッツァを食べる事はできなかった。
右の写真がそれ。自分のは…撮ってないです。

で、きたきた!!アロッスティチーニ!!それはもうででーんとテーブルの真ん中に。
30cm以上も有る串にアブルッツォ名物の羊肉!!。じゅーじゅー音を立てている。
肉汁(笑)も滴り落ちてる。味付けは塩胡椒のみ。 アッロスティチーニの写真
お味は・・・もちろん美味しかった。わざわざ来てよかったよ〜。
それも、わざわざキエーティからチッタ・サンタンジェロというレベルじゃなくて、
わざわざペスカーラまでというレベルで。ありがとうみんな。わざわざ。
ってことで、写真はペスカーラのみんな
壁にかかってるのが、件の新聞の切り抜き。
と言うわけで、お店の人に もう閉めるのでと言われるまで喋くりまくって12時頃店を出た。
それから、チッタ・サンタンジェロの町を見に行った。
小さな丘の上の町で、細い横道が暗闇に吸い込まれててとても神秘的だった。

[4月11日]

パスクワのお菓子

朝、アンドレアの弟のマルコが帰ってきていた!!。
パスクワで帰ってきていたのだ。何てことだ今回は会えないと思ってたのに!!
アンドレアのお母さんはパスクワのお菓子を作っていて、説明を受けた。
まず馬の形をしたお菓子、Cavallo augurale per pasqua。
それとリコッタチーズが中に入ったfiadone(フィアドーネ)
それから、棚の中の香辛料やらを見せてもらった。
cavallo augurale per pasqua 1 cavallo augurale per pasqua 2

おみせめぐり

外に出て、頼まれてたプラダのキーホルダーとイタリア語のキーボードを買うため外出。
アンドレアの家の有るアパートの郵便受けの横の掲示板に奇妙な貼り紙が有った。
何のことか今ひとつ理解できないでいると、アンドレアがこれはジプシーのサインだと言う。
ジプシーのサイン?と聞き返すと、ジプシーは自分達で決めた一定のサインをアパートの入り口
や壁に書き込んでその家の状態を仲間に知らせてるらしい。
貼り紙には「× 良い目標」「○ 友好的な人」「△ 女一人」「D 日曜」「M 朝」などと
家の善し悪し、家族構成、在宅状況、犬の有無などが詳しく決められている。
表に出る時に確認すると、あるアパートの家のインターフォンの名前の横にちゃっかりと
「×」印が刻んであって、ペスカーラのような静かな住宅街での現実を見たきがして、少し寒気を憶えた。

ペスカーラのお店のほとんどは最近高架に改築された近代的な駅から海岸に向かう道沿いに並んでいる。
私の故郷の明石もそんな感じで非常になじみぶかい。
まず最初にお金を両替するために駅に向かう。前回長く待たされた銀行のことを考えると駅が
いいかなと思ったから。
プラダの置いてある店はアンドレアのお母さんにあらかじめ聞いてあってまっすぐに向かった。
最初に行った店では置いてあったが目的の赤は無かった。そして店員さんは赤は型が古いので
置いてないと言う。こっちの濃い赤はどうだというけど、値段がローマのプラダに比べると
高かったので赤でないとダメと言ってやめた。
そして、もう一件の店に行っても置いてなかったのでローマで買うことにした。

海岸

ブランコ それから少し散歩でもしようと言う事で海岸のほうに歩いていき砂浜を歩いた。
アドリア海の海と空はカプリやアマルフィでみた海の色より少し濃かったけど
砂の色との対比はとても美しくて依然見た冬の雪に埋もれた海岸と荒くて厳しい
北の海のイメージはそこには無かった。
今はもう既に夏のバカンスに多くの人で海岸を埋めつくすと言われているリゾート地
の性格が完全に現れていたと思う。海岸には大きなブランコが有ってそこで写真を
取った(写真左)。これは冬にあった様な気がしない。
落ちていた木の棒を拾って日本語の文字を書いてアンドレアに読ませたり教えたりした。
砂浜で日光浴をする人、ヘッドホンを付けて砂浜をジョギングしている老人。
彼はアンドレアのの音楽の先生だったそうだ。
私は木の棒で線をひきながら歩いていたけど、そこに2匹の犬が現れて棒をくわえられ
てしまった。しかたが無いのでしばらく抵抗しつつも棒は犬にやると、2匹の犬はさら
に現れたもう1匹の犬とじゃれあう事に関心を移してさっていった。
ここはいい。休日の穏やかな午前中を満喫できるから。
そしてイタリアでは人が住む所にはそういうところが少なからずとも有る。
日本のように車で渋滞をぬって、あるいは電車で立っていくような事も無く、歩いて
行ける。イタリア人は意識的にか無意識ににか人間が機械で無い事を、機械にはなれな
い事を街造りから教えてくれている。
海岸から駅に向かう大通りのほうに向かうとテントがたくさん有って露店が出ている。
盆栽やおもちゃ、本や、ちょうど秋葉原デパートの前のように生活に便利な小物を説明
して売る店も有る。
アフリカの民芸品とか今ではパソコン関連の品物もめずらしく無くなったのか売って
いる。

ロベルト

出店を一通り見た後、ロベルトの店にキーボードを買いにいくことにした。
ロベルトは大学を卒業後、知り合いとパソコンの店をペスカーラに出した。
値段も日本の店と比べても何も遜色は無く、英語版の最新のソフトも置いている。
ショップブランドのAT互換機を作って売っているけど、イタリアらしくも無く最新装備で
固めている。しかも安い。これには驚いた。
店が繁盛してるかどうかは私には預かり知らない事ではあるけれども(イタリアでの店の繁盛
と言うものがどんなものか知らない)、それなりにうまく軌道には乗っているようだ。
再開に満足したら店を見渡してみた。店は小さくて在庫も無く、イタリア語配置のキーボード
が有るかどうかは疑わしかったけど、ロベルトはベッドほどのスペースしかない倉庫から
持ってきてくれた。
そのキーボードは皮肉にも日本のミツミ製であったが、製造はマレーシアだ。
パソコンの世界の国際化はイタリアと言う文化的に有る意味保守的とも言える国であっても
容赦は無いようだ。
これで前回手に入らなかったイタリア語用のキーボードも手に入ったし昼食のために家に戻る ことにした。

昼食

昼食は家族そろっての食事となった。これはアンドレアの家族にとっても久しぶりに全員
集まったようで、近くに住んでいるらしいおばあさんも参加した。
昼食の内容はコッツェ(たぶんカラス貝)のパスタ、エルベ・カンパーニェ(野原の雑草?)、
タコと魚(干しダラ)の焼いたようなもので、食事の時もいろんな説明を求め教えてもらった。
前回来た時よりもイタリア語がうまくなってると誉められたけど、それはたぶん知ってる単語
が若干増えただけで勉強のせいかが現れているとはとてもいえないような粗末な物なんで
気恥ずかしかったけど、ナポリの人が話してるよりもわかりやすかったんで少し自信はついた。
しかしそんな昼下がりもあまり時間は取れなくてローマに行くバスの時刻が近づいた。
荷物をまとめ、再会を誓い、アンドレアの車に乗って駅へ向かった。

ローマへのバス

ガラス張りのモダンなペスカーラ駅の広場の入り口付近のバス停で
別れを告げて、ローマ行きのバスに乗る。2時間半ほどで
ローマにつくらしく、ナポリからの様な退屈さも無かったし初めて
通る所なんでナポリからの時と同じように沿線の街をガイドと
見比べながら行くことにした。
ここで思ったけど、バスと言う物は列車での移動に比べて人の
移動が少ないので盗難などの心配もあまりなくて一人旅には
結構いい物だと思う。
ローマに向かうにつれ天候は悪くなった。

ペスカーラ駅


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03/08/1998 A cura di I'Cirou Takao