イタリア旅行 : IL Mio Viaggio in Italia 1998

La pagina di casa di I'Cirou TAKAO

私の最新のイタリア旅行についてです。思い出しつつ作成中。

Napoli:ナポリ(その4)

[4月10日]

地下ナポリ、Napoli Sotterranea

今日はペスカーラに行くけどバスは15時なんで、ジョヴァンニが約束してくれた、
地下ナポリ※1探検だ。
朝、10時ぐらいにジョヴァンニが迎えに来て、マッシモとアントニオとジョヴァンニ
の車でチェントロ(中心の意)へ行った。
車は少し離れたところにおかなくてはならなくて、車をおいたら歩いて
チェントロに行く。
そしてスパッカナポリ※2を東のほうに歩いてずんずん行く。
S.グレゴリオ・アルメーノ通り
それから、左に曲がる。すると両側にはプレセーピオ専門※3
工房がいくつも並んでいる通りがある。
サン・グレゴリオ・アルメーノ通り(Via. San Gregorio Armeno)
といって、さすがに年末には凄く賑わうのだけれども今は
そうでもないらしい(写真右)。
まったく人通りも少なければ開いている店ですらまばらで
あった。
サン・ロレンツォ・マッジョーレ(San Lorenzo Maggiore)
教会を横目にトリブナーリ通り(Via. Tribunali)と交差する
ところまで来たら、左へ曲がるとサン・パオロ・マッジョーレ
(San Paolo Maggiore)教会がある。
聖ロレンツォ教会にはカタコンベも有るとジョヴァンニはいう。
教会の前に有る案内板にも確かにそう書いてある。
そして、トリブナーリ通りを少し歩いて聖パオロ教会の
横の路地に入っていった。その突当りが地下への入り口だと言う。
が、無情にも入り口は鉄索で閉まってた。
休みかな?とそう思ったが、良く見ると12時からだという。
後一時間ほどあるけど待とうという事になった。

血管解剖像

時間潰しにとジョヴァンニが案内してくれたところは教会だった。
サンセヴェーロ礼拝堂(Cappella Sansevero)といい何故か入場料を払う。
中央に寝てるおっさんの象が有る。なんか重要らしい。
ボケッと見てるとジョヴァンニは「ついてこい」という。
右脇の小部屋からどこかに行けるらしい。順路が示してある。
階段を降りた納骨堂のようなところで見たものは血管が宙に浮いたような構造の
2体のミイラみたいな解剖像。かなり気味が悪く右のほうのはお腹の中の胎児まで
再現されている。
「う〜む」。それはいいが、表記してある男と女が逆じゃないのか?
なんかはめ込んだような目が気持ち悪いなあ。それから上に上がると
解剖用の機具なんかが並んでる。そこで「戻ろう」とジョヴァンニ。
その横の出口から出ると思いきや、順路を逆に歩き出す。
もちろん監視のお姉さんに怒られるが、「最初のを見てない 」やら、
「友人が入り口で待ってる」やらといい強引に入り口のある礼拝堂に。
寝てるおっさんはキリストらしい。「この布の表現を見ろ」 と言うので見た。
それから右のほうに有るたったおっさんの象。これは引きずった網の表現が凄い。
大理石でここまで透かして立体的に彫るとは!!そして壊れてないとは。
(調べてみると、寝てるおっさんはジュゼッペ・サンマルティーノ作
「Cristo velato(ヴェールをかけられた死せるキリスト)」。
網のおっさんはフランチェスコ・クエイローロ作「Disinganno(暴かれた欺瞞)」でした。
更に礼拝堂の右側には「Pdicizia velata(ヴェールをかぶった謙譲)」も有ったんですが、
象は裸体に濡れたようなヴェールをかぶったきれーなねーちゃんでしたが、
あまり感動しなかったです。)

見終ったら入り口のおっちゃんから咎められながら、入り口から出て(笑)
前のベンチで待ってたアントニオとマッシモと合流。
横を見ると出口はすぐ隣だったし・・・

こんどこそ地下ナポリ

地下ナポリ入り口
アントニオがちょっと大学によって来るというので、大学の前の広場で待つことにした。
広場には教会があって名前はサンドムニカマッジョーレ。
またマッジョーレだ。「ナポリって何でもマッジョーレだねえ」
とついマッシモに言った。ジョヴァンニはこの間に車をもう少し
近いところに移動させるという。
アントニオが戻ってきたのでCDを見に行って、帰ってきたら、
指輪が売ってたので青い石でできた指輪を買った。2000リラだ。
そうこうしてるうちに、ジョヴァンニが戻ってきた。
またプレセーピオの工房の間を抜けて、地下ナポリの入り口へ。
右の写真の様に、知らないと発見するのは難しい。
鉄索は既に開いていて、数人が待っていたが開いてるような
雰囲気は無い。入り口に置いてある軍服を来た通信兵の人形が
気味悪い。なんでこんなもんがおいてあるんだろう???。
10分ほど経つと12時になってパンフレットのようなものを
配りだした。入り口に並んで壁を見ると、クリントンの写真が。
クリントンが地下ナポリの大統領にあてて手紙を書いているのが
貼ってある。そして「大統領じゃなくて社長」と訂正された。

いよいよ地下に案内される事に入場料は5000リラだ(記憶曖昧)。
ひんやりとした階段を降りたら、数十人分の椅子をおいた部屋が有った。
ここで待てといわれたんで待つ。しばらくするとボールペンを配り出した。
???何か名前やら書けという。何のことだ???
あたりを見渡すと何か書いている。マッシモも書いている。
良く見たらカードのようなものがパンフレットに挟まれていて、皆はそれに
なんか書いている…慌ててパンフレットをだしたが、そんなものは無かった。
う〜む。「ないよ〜」と言ったらくれた。でも、すぐに電気が消えて、
スライドで説明が始まった。どうもこの地下ナポリというのは昔の石切り場らしい。
昔というのも、ナポリがギリシアの植民地だった頃からローマ時代で、
その後は地下水道として発達。二次大戦前に発見されたとか。
スライドに合わせて案内嬢のおねえちゃんが早口で決まりきった台詞を言ってるけど
地下がどのあたりの建物や道の下まで延びてるかなんて言われてもさっぱりわからず
いろんな所の入り口らしき所の写真や、発掘中の写真。洞窟探検みたいな格好で、
ワイヤーで井戸から入っている…。
揚げ句の果てにはクーマのシビッラの洞窟も出て来るが関連性はよくわからない。
最終的にはこの空間は美術館として開放するやら、駐車場にするとかの未来的な
デザインのスライドまで長々と説明。終わった頃には1時前。

地下ナポリ
それからぞろぞろと入り口に戻る。まさかこれで終わり。なんてことは、案内人の
「さあいきましょう」という声のせいで思わなかったけど、さっきの空間は
説明のためだけに存在しているらしく、途中の横道から入るのが本当の通路だ。
階段を延々と降りていくと小部屋があって、そこで待たされる。
どうやら、遅れてきた人を入れた模様。
しばらくして説明再開。話によると我々が立ってるところは
本来の地下の床ではなく、ゴミとか泥とか土が体積した上だそうだ。
そのゴミは昔この地下水道に井戸を掘って水を汲んでいたが、
使われなくなってからはゴミ捨て場になっていたそうだ。
天井を見ると栓をされた井戸がある場所も有る。
その後、第2次大戦でアメリカの空爆から逃れるため防空壕として使っていて
その頃を再現した人形が置いてある。そうか、入り口の人形はこれの余りか。
で、現在はこうやって一般公開しているらしい。
また、民家と一部繋がってたり、民家のそばにまで穴があったりする。
「みなさん静かに、ほら、音がするでしょう?」とか言われて耳をすますと、
たしかに生活音が聞こえる。さらにRAIの特番のビデオを途中で見せられる。
NHK特集みたいな感じで、アメリカの空爆があってとか発掘の様子とか。
ここで印象的だったのはアメリカの爆撃に対するイタリア人の嫌悪。
その場面では一斉にブーイングだし。
それから階段を降りたところの小部屋に戻り、気になってた花壇の説明が始まった
人工的に電球で植物を育てていて、植物が育つ…って説明されてもなあ。
それだけだ。

地下ナポリ探検?

地下ナポリ2
その後、全員にろうそくが渡される。どうやら狭いから電気が
付かないとか・・・
狭いって大丈夫なのか?とずんずん進んでいくと、所々かがんで
通らないと通れないところやら、 上から水が垂れて
来るところやら凄く狭いところが有った。
写真はその一部で、凄く狭いけど天井は写真に写らないぐらい
はるか上。おそらく10mぐらい有る
カタコンベと違い、遺跡っぽいおどろおどろしさが無い。
なんかみんなわくわくしている。どうも地元の人が多い?
確かにアントニオは存在すら知らなかったそうだし。
そうこう言ううちに貯水池のようなところに出たが、水の音で
説明が良く聞き取れない。そんな中でマッシモが「チロ、チロ」と私を呼ぶ。
ゆうちょうに「何?」と返事したら「髪!!髪!!」って。
あ、髪の毛がろうそくで燃えているっ
燃えた髪の毛をぽりぽり崩しながら来た道を戻った。
ここはもうちょっとイタリア語がわかったほうが面白いかも
ろうそくを戻して終わりといった頃にはもう2時だった。
慌てて階段を駆け上がって外に出た。ああまぶしい。そして暖かい。
内部はTシャツのみの私にはめちゃくちゃ寒かったんです。

バスまで

さて、車に戻ってアントニオの家に荷物を取りに戻る。
「もうお昼食べてる時間ないね」、「始めから荷物持ってくればよかったね」
「お昼はバスの休憩で食べてね」などといわれつつ、アントニオの家に戻る。
そして彼の両親と別れのあいさつの間にアントニオは自分の車を出してきた。
また再びチェントロに。バスは駅前から出る。去年も乗ったので憶えてる。
14時40分ぐらいに着いた。「余裕だったね」「いやぎりぎりだよ」「???」
バスは14時45分発だった・・・確かにぎりぎり。またラッキーだ。
そうして旅はペスカーラへと続く。


※1 地下ナポリ
この地下ナポリは今まで見たどのガイドにも載ってないので、
以下に場所と連絡先を示します。

Napoli Sotterranea(地下ナポリ)
Piazza San Gaetano, 68
tel.081/296944
cell.0336/841225(何故、携帯の番号まで?)
スパッカナポリの一本上にあるトリブナーリ通り(Via. Tribunali)の
サン・パオロ・マッジョーレ(San Paolo Maggiore)教会の
すぐ左の路地を入るとあります。

※2 スパッカナポリ Spaccanapoli
スパッカナポリはローマ時代の都市を構成する3本の主要道路デクマヌスの内の最南のもの。
なお、スパッカナポリという通り名はなく、ベネデット・クローチェ通り、
サン・ビアージョ・デイ・リブライ通り、ヴィカリア・ヴェッキア通り、
ジュデッカ・ヴェッキア通りの集合体となる。

※3 プレセーピオ presepio
イタリア人はクリスマス前にこの聖書をモチーフとした情景模型を飾る習慣が有る。 件のサン・グレゴリオ・アルメーノ通りでは完成済プレセーピオや小さな人形や家などを売っている店が多い。
ちなみにローマではクリスマスが近づくとナヴォーナ広場にこの手の露店が出る。


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16/04/2000 A cura di I'Cirou Takao