イタリア旅行:IL Mio Viaggio in Italia 1996



4回目のイタリア旅行についてです。

ミラノ(Milano)

Duomo
工事中のドゥオーモ広場。

1月6日(月)

ミラノには予定通り11時についた。まずはホテルに連絡した。
2年前に泊まったホテルだAuroraという。
それから、Stefano の家に電話したら、既に家を出たそうだ。
なんで、Stefanoの携帯に電話してみた。地下鉄に乗ってるらしい。
取り合えず、駅の入口で待っていた。駅の入口ではいろんな人が居る。
それにしても物乞いが多い。おまけに贅沢に着飾ったジプシーまで居る。
さすがイタリアの経済を支えてるミラノ、ジプシーがリッチだ。
おじさんに連れられた犬は駅の入口の大広間でうんちしている。
そこに先程のジプシーは何食わぬ顔でうんちを踏んでいる。
他のイタリア人は気付いたらものすごく嫌そうな顔をしてうんちをそこらでぬぐってるのに。
ジプシーはやっぱりジプシーか。それから、他の物乞いと井戸端会議をはじめた。
なんか、やたらうさん臭い。それにしてもStefanoは未だ着かないか?

もう一度Stefanoの携帯に電話してみた。ホームの方に居るらしい。
私を見つけられなかったみたいだ。やっぱり髪の毛が長かったかららしい。
Stefanoは背が高い190cm位あるみたいだ。

まずはホテルに行って荷物を置かないと行けない。地下鉄で行った。
2駅目のLoretoで乗り換えて2駅目のPta.Veneziaでおりた。
歩いた方が早かったねって言ったら、今日は休みだから本数が少ないからだって。
ホテルはテレビ付きシャワー付き7万リラ。まあ十分だ。
これなら、昨日も泊まっても良かったなあ。

その後Stefanoの家に行った。FS.の駅の近くだ。
彼の家族はみんな背が高かった。
昼食をよばれた。

その後StefanoとDr.Brainの家に行った。Dr.Brainはネット上での名前らしい。
本名は伏せておくけど。
彼はStefanoから紹介されたメール友達だ。彼の家はホテルの近くだった。
丁度、ホテルと駅の間だ。
彼の家はきれいなゴシック調の建物の中にあって、彼は中庭に居る我々を呼んだ。
呼ばれた、部屋は外見とは違って大量の物に埋もれていると言う感じだ。
イタリア人はみんなさっぱりした所に住んで居るって訳ではないみたいだ。
親近感がわいた。さて、彼は少し落ち着いた感じのおとなしい青年だ。
それでいて、ぶつぶつと少し早口で話す。
彼の言葉は私には、あまりうまく聞き取れない取れなかった。
そこでMassimo Gorlaに電話した
Stefanoの家に戻った

夜はpizzaを食べに行った。
おいしい店が有るといってるんで、行ったが開いてなかった。
別の店に行ったが、そこも開いてなかった。
仕方がないのでまた別の店に行ったホテルの近くだ。
でも、そこも十分美味しかった。

1月7日(火)

今日はMassimoと会う日だ。
しかし、買物をする日でもある。
まずは、地下鉄に行った。一日券を買いに売店に行ったら売り切れてる って言われたが、そこの兄ちゃんは親切にも他の売店で売ってるといって、 売店の場所も教えてくれた。めちゃめちゃ忙しそうだったのに。
で、一日券で、ドゥオーモまで行った。
ホテルからドゥオーモまでは地下鉄の乗り換えはない。
で、まずはPRADAを見に行った。9時だと開いていないようだ。
しかも、なんか幕みたいなのがかかってる。まさか今日も休み?
Rinascenteに行った。まだ開いてない9時半みたいだ。
Mandarina Duckに行ってみた。まだ開いていない。
バーゲン時期なんで値札が付いてる。
Rinascenteに戻った。ぬいぐるみを見た。かわいいのが居たが高いので、 取り合えず買わなかった。

プラダの店にて

10時過ぎたのでPRADAに行った、開いてた。しかも幕の所はそのままで、 幕の隣が入口だったようだ。
人がいっぱい並んでる。それも日本人ばかり。
自分も日本人だからしょうがないが、なんとも変な気分だ。
最初にミラノに来た時はこんなに日本人は居なかった。
それどころか、ミラノなんて誰も知らなかったんだ。
いま、ヴェローナって言われてわかる人が居るのと同じ位しか居なかったはずだ。
それが、ミラノファッションが有名になってミラノには買物に来る人でいっぱいだ。
一昨年よりも断然多くなってる。それに一昨年はPRADAなんて人は居なかったぞ。
少なくとも並んでなかったし、ローマのPRADAには入ってる人が居なかった。
一体、何が起きたんだろう?

そんなことを考えながら、そこで10時半まで並んだ。
ようやく入れたけど、店の人は誰も挨拶もしてくれない。
でも、とりあえず挨拶してやった。「Buon giorno!」挨拶が帰って来た。
「Boun giorno, signora!」はあ…。
店に入ったら、辺りを見回して、さっき後にならんでたガイドらしきねーちゃんが 入ったら地下に降りろと言うのを実践した。
地下は地上よりかなり広かった。地上の3倍程度の広さがある。
で、中には並んでるのと同じ位の割合で日本人が居る。
一通り、店内を見回ったあとお店の人にリュックはないかと聞いた。
そことそことそこにあるって言うので、見た。良くわからない。
確か黒って言ってたなあ。
しかし、丁度良い感じのリュックは少し青みがかって見える。
まわりの人間がこれは紺だって言ってる。
店員に黒はないかって尋ねたらないって。
そんなことを言ってるうちに、後ろのおばちゃんがなんか変な事を言ってる。
「これ3000円ぐらいだよねえ、いくらなんでも安すぎるよ」
後ろを見た。730000リラって書いてる。
「最初の字は7ですよ」と教えてやった。
「なんだ、¥かと思ってた」
ここは、イタリアなんだから円は使いませんて…。
突っ込もうと思ったけど、仲間の誰かが突っ込むだろうと思ってやめた。
が、お仲間さん達はそんなことは関係なく、実際の値段が気になってたようだ。
「やっぱり高いねえ」5万円位だもんな。
まあ、そんなこんなで袋状で紐の所がチェーンになってるリュックに決めた。
おねえさんにこれをくれと言うと、30%引きだと言うじゃないか。
ってことで5万近くするものを3万円位で買った。
が、ここからが長かった。
クレジットカードをどこやらに持って行ったまま待たせる事10分。
レジの方から名前を呼ばれるとサインしてやっと終了。
あ、レジのまわりに固まってた、人々はそれを待ってたんだなってわかった。
しかし、所要時間1時間以上。まいった。

Rinascenteで

そのあと、再びRinascenteへ行った。
Rinascenteはリナシェンテって読む、確かルネッサンスという意味で、 実際は大きなデパートだ。
大きいって言っても、神戸そごうと同じ位から、日本だと良くある大きさだ。
でも、おそらくイタリアで一番大きなデパートだ。
ちなみにローマやフィレンツェのRinascenteはもう少し小さい。
で、あらかじめ見ていた品物を買う。
ALESSIの胡椒入れとヴェルサーチェの財布、それからGuzziniの調味料入れ、 同じくGuzziniのチーズ削り
それから、ろうそくとぬいぐるみ。あ、ぬいぐるみがきれいに並んでる。
あれ?朝見た時より安い…。

Massimo Gorlaと

Massimoにはすぐ会えた。やって、髪の毛が長いって言ってたもんで。
Massimoは背が高い。ミラノにも来ると結構背が高い人が多い。
まずは、イタリアのレストランに行けるのも今日が最後ってことで、レストランに行った。
それから、Massimoは買うものがあるって事で、連れて行かれた所は昨日行った「大和」って 店だった。そのあと行ったのも昨日行ってしまってた店ばっかり。
みんな似たようなもんだ。
Massimoとわかれたあとは駅でバスターミナルを探した。駅の向かって右側にある。
よし、これで明日迷う事が無いわけだ。バスの時間も見ておいた30分置きだ。

ホテルに戻っていったん荷物を置いて、ホテルの近くのUPIMでパスタポットを探した。
が、手頃な大きさ(でかいの)の物はなかった。
そばに、買うのをすっかり忘れてたパスタマシーンを見つけた。
2種類あって、大きくてなんでもできるのと、小さい日本で良く見かける奴だ。
大きいのは1万円位、小さいのは3000円位だ。日本だと小さいのは16000円で見る事もある。
それと、パンツを買った。明日はくのがない…。
でも、これで服の全てをイタリア化することができるようになった。へへへ。
それから、地下に降りて食料品を買った。ローズマリーとか、リゾットとか、 デルモンテのフルーツドリンクとかサンペレグリーノのコーラもどきとか。

最後の晩餐(La ultima cena)

Stefano ホテルに戻って帰る準備をして、サンペレグリーノのコーラもどき(CHINÒ)を飲んだ。
その後ホテルをでたら、Stefanoとその友達が待っていた。
そのうちの一人は昨日行った「大和」で働いてて私を見ていたそうだ。
夜はpizzaを食べに行った。
昨日、行こうとしてしまっていた所に行こうとしたのだけど、今日もしまっていた。
結局別の所に行って食べた。そこのpizzaはとても大きくておいしかった。面白いおじさんも居たし。
そこでしていた話は、次のドラクエがプレイステーションで出るのではないか(帰国後その発表があった) とか、エヴァンゲリオンがどうとか、ソウルエッジが綺麗だとかの話だった。
日本でしてる話と全然違わない。ははは。
食事後みんなと別れ際にホテルの前で写真を撮った。左はその時の写真。一番左がStefano

とりあえずこれで今回の旅は終了したかと思えた。

1月8日(水)

あさ、早く目覚めた。


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27/04/1997 A cura di Ciro