イタリア旅行 : IL Mio Viaggio in Italia 1992

La pagina di casa di I'Cirou TAKAO

私の2度目のイタリア旅行についてです。思い出しつつ作成中。

Napoli:ナポリ

[12月31日]

朝は国立考古学博物館(Museo Archeologico Nazionale)に行った。
昼飯は海沿いの公園の前にある…水族館の近く…でマリナーラを食べた。
あんまり安くない。ナポリって食べ物こんなに高かったっけ。
ついでにコーラもぬるい。
でも美味しかったんでまあいいか。

ヌオーヴォ城でのプレゼーピオ展も見た。
しかし…どうやら風邪を引いたようだ。ダルい。鼻水が出る。
交差点で売ってるティッシュ売りからティッシュを買う。
昼から店はしまり、なんか花火屋が増えた。なんだろ。
まあいい、体がだるい。う〜ん。喉も痛い。
ホテルで寝よう。夕方にホテルに戻った。

しかた無いから、夕方だけど寝ることにした。
なんか外がやかましい。どんどんばんばん鳴ってる。

ところが。…夜の11時を過ぎた頃か、ドアをばんばんたたく音がする。
なんだ?開けてみた。ホテルのにーちゃんが「ちょっとこい」という。
なんかよくわからない。言われるままについていくと…。
小さな部屋でテレビが点いてて、日本人が一人居た。
私「こんばんは。日本のかたですか?」
日本人「そうです。」
私「一体彼(ホテルのにーちゃん)は何をしようと言うんでしょう?」
日本人「どうやら、年越しパーティーをするらしいです。」
なんと、ホテルの人をみんな巻き込んでパーティーをしようと言うのである。
そしてホテルのにーちゃんは他の人を起こしに行った。
その間我々はお互いの素性を話し、彼がフィレンツェ在住の西宮の人だとわかった。
しかしイタリアで会う人の関西人の確率が高いこと高いこと。
少なくとも半分が関西人という感じである。しかも兵庫県が多い…
たしかに兵庫県は内海で日本のイタリアと言うような気候である。
性が合う人が多いのかなあ。
と思ってるあいだに、ホテルのにーちゃんが戻って来た。収穫は無かったようだ。
「みんな寝てる」そうだ。
というわけで、客は我々日本人、 そしてホテルのにーちゃんイタリア人の3人で除夜の鐘ではなくカウントダウンパーティーを はじめることになった。
そして新年を祝ったあと、にーちゃんが「外に出てみるか?」と行った。
さっきから戦争のような音がしている外である。
つられるように外に出てみた。
それはすさまじい景色だった。人々は窓からでてバルコニーで花火をやっている。
それと爆竹を外に投げている。その爆竹に反応して車の警報装置が空襲警報のような音でなっている。「ばんばん。う〜〜〜〜。」
そして救急車かパトカーのサイレンの音。
「戦争のようだ」。 爆竹のすさまじい音は石造りの密集した建物の中を何回も反射して残響音が消えない。
ナポリ中がなっている。
「毎年死人が出るんだ。危ないから遠くにはいかないほうがいい」
「でも大通りに出てみるか?」言われるままに大通りに出てみた。
真夜中なのに空は赤い。
「あの山のほうから見た景色はすごいよ。でも危ないから行けない。」
と言われた。 十分堪能したホテルに戻った我々はホテルのにーちゃんに感謝とお休みのあいさつをして寝た。

[1月1日]

どうにもこうにも風邪がよくならない。
ここは一日ねてることにした。掃除というかリネンのおばさんが来たが、 一言二言交わしてそのまま寝てた。熱があるようだ身動きできない。
独りで旅行中の病気は心細い。 だけど今日は休日でどうせどこも休みだから寝ててもいい。
夕方おもむろに出て昨日の惨状を見に出かけた。

それから薬屋で熱冷ましとのど飴をかい、ホテルに戻る。
しかし、この熱冷まし変な形だ。説明書きによると水に溶かしてのむらしい。
と思ったら、入ってるものと水に溶かしてる絵が違う。
「もしかしてこれは別の薬の分も説明書が共通なのでは?」
でも形が同じものはのってない。「supposta」と書いてある。
しかし、この単語は大学書林のイタリア語小辞典には載ってない。
しかたなく小学館の緑の伊和辞典を出す。調べたらそれは何と「座薬」だった。
お〜〜っと、危うく尻に入れるものを口に入れるところだった。小学館の辞書様様だ。
重いのを持って来てよかった。
座薬だとわかったところで熱冷ましを使うことができなかった。 座薬の入れ方がわからないから。
しょうがないのでまた寝た。

[1月2日]

ナポリ中央駅で日本人の親娘に会った。記念写真を撮ってもらった。
そしてローマに戻った。


イタリア イタリア旅行
11/02/1999 A cura di I'Cirou Takao