イタリア旅行 : IL Mio Viaggio in Italia 1992

La pagina di casa di I'Cirou TAKAO

私の2度目のイタリア旅行についてです。思い出しつつ作成中。

Roma:ローマ

ホテルに戻ると、アビと日本人の女の人が何やら言い合っている。
どうやら、らちが明かない模様。
暇なんで割って入って聞いてみると、ナポリに行くため時刻表を見てるんだが、 よくわからないらしい。 と言うことで、列車に乗っているときは辞書片手に時刻表を見ていた私は、 どれに乗ればいいか教えてあげた。
それから少しいろんなことを話して…話の内容は、 彼女がバッグを盗まれたことしかおぼえていないけど。
ついでに駅まで送っていって、名前も教えてもらった。写真も撮った。
帰ったら連絡することにした。

ヴァティカンに行った。巨大なプレゼーピオがオベリスクの前にある。
う〜ん。すごい。
それから、中に入ってミケランジェロのピエタを見た。前回見忘れてたので。

[1月3日]

カンピドリオ(Campidrio)、 ティベリーナ島、コロッセオ(Colosseo)と回る。
コロッセオはお金を払って入ってもあまり嬉しく無い・・・。 払わずに見れる部分とそう変らないから。
しかし、そこで誰も見ないような一つの物体を発見した。 明かりも無い部屋の中にガラス越しでコロッセオの復元模型。
模型好きな私としてはこれに目を奪われ、以前見た古代ローマの模型を思い出した。
確か、模型が映っている写真にはローマ文明博物館(Museo della cività Romana)と 書いてあったはず。でもどこだそれ?
ローマ文明博物館(Museo della civiltà Romana) 「地球の歩き方」にはエウル(E.U.R)にあると書いてある。しょうがない行くか。
と突然行動する。しかし、地下鉄B線のエウル何とか駅で降りるとしか書いて無い。
で、地下鉄に乗って何とか駅で降りてみた。でかい近代的なビルとか池が有る。
地下鉄に乗っただけでなんか妙に近代的な所に来てしまった。
少しうろついてると、それっぽい建物を見つけたので入ってみた。
って入ってみたってことは入場料がいらないってことでなんかオフィスのようなところだ。
この中に博物館が有るのかな?と思ってでたり入ったりしてたが、どうも無いようだ。
後でわかったけど、これは労働文明館(Palazzo della Civiltà Lavoro)といって名前はにてるけど一般人が入ってどうこうするところじゃないようだ。
建物自体は「四角いコロッセオ」の異名をもって有名なものらしいけど。
博物館にはラウレンティーナ(Laureentina)という駅で降りるらしい。
というわけで移動。
なんかまわりが工事中の駅で降りて、 ローマの市街地では見られなかった分譲地の家が立ち並ぶ坂を昇ったところに博物館があった。 しかし、どこが入り口?博物館のまわりをぐるぐると捜し回ったが開いてる扉はない。 と思ったら一枚の貼り紙を見つけた。どうも今日は休館のようだ。
ありゃ。しかたない出直そう。
で、オスティア(Ostia)へ行くことにした。 というか途中の駅で乗り換えて海のほうに向かえば行けるはず。
時間もあるんで行ってみた。が冬のオスティアには誰も居ない。
中でうろついたが閑散としていて飛行機の音がこだまする。フィウミチーノはすぐそばだ
しかし、オスティアで気づいたがイタリアでは冬というのに雑草が生い茂っているし、 木にも青々と葉がついてる。 日本と同じぐらいの寒さなのに南の国というイメージをこんなところでも稼いでるなあ。
オスティアの中をほどなくうろついたがこれほどの遺跡があまり知られて無い?
とにかく人気がない。ひとけがない。にんきがない。どっちもだ。
写真で見るかぎりはポンペイに引けを取らないのになあ。ローマからも近いし。
フォロトライアーノを見てホテルに帰った。

[1月4日]

さて、今日こそはローマ文明博物館に行くことに。
道は憶えてるのですんなりと到着。貼り紙がしてあったところのそばが入り口だった模様。
そして、この博物館はローマ帝国の歴史をただひたすら模型とパネルで説明していくという、 なんとも現代的というか、さすが万博の後に立てたといか、 そう内容は全くもって万博のパビリオンなんですね。古いですが。
そして、メインとなる古代ローマの模型。これが想像していたより巨大でした。 資料によると大きさは25万分の1だそうです???。2500分の1じゃないかな? この模型をじっとながめてると古代ローマを上空からながめたような感じになって、 しばらくぼーっとしてました。
とにかくここは歴史的な価値があるものはほぼ無いけどおすすめです。

[1月5日]

フォロロマーノへ。 模型を見たらやはり遺跡を見るのがいいと思うわけで。
しかし、あれがこうなるのか・・・いや、2000年近く前のものがこうも残ってる方が凄いか。 いや、その時代にこんなものを作ってたほうが凄いかもしれない。
それを残してるイタリア人も凄い。とはいっても中世には地上に出てる部分のものは 教会建築に石が使われたそうでコロッセオが半分外周が無いのもそのせいだとか。
地球の歩き方の説明だとどれがなんだかどうもわからない。ロムルスの墓ってどれ?
パラティーノの丘も何がなんだかよくわからない。
最後の晩餐はホテルを出てすぐの半地下になったレストランで食べた。
夜荷物を整理した。明日は飛行機に乗るので、機内用の手荷物をわけた。
辞書や本などを肩掛けかばんの中に入れた。

[1月6日]

朝、飛行機に出るために少し早くホテルを出た。徒歩でテルミニ駅に向かった。 駅前のバス停で声をかけられた。背中になんか付いてるらしい。
アラブ人っぽい風貌の男たちが上を指差してた。鳥?鳥の糞か?
ジャケットには鳥の糞と言うより、ゲロっぽいものがついていた。 イタリアで買った新品のジャケットがだいなしだ。男たちの一人がティッシュをくれた。
とりあえず拭いて先を急ごう。と思ったら、足元にはさんでおいたバッグが無い。
たしかパスポートなんかがはいってた。油断と言うか、狐につままれた様な感じだ。
近くにいた日本人の男の子二人組に、荷物を預けて辺りを捜し回ったが、さっきまで大勢いたアラブ人らしい団体が一人も居なくなってる。やられた。
ここはひとまずホテルに相談。ホテルの兄ちゃんは戻ってこいと言う。
ホテルに戻ったら「全部取られたのか?写真も?」ってカメラはポケットに入れてたから無事だけど…
まあ、他にも相談したが今日はベファーナで休日なので、 盗難届などの手続きは出来るけど大使館は開いて無いらしい。
家とかに電話して帰れないことを知らせた。その後外に出てゴミ箱なんかにバッグだけでも落ちて無いか探したり、ジプシーに知らないか聞いて八つ当たりしてた。
ひとまずホテルに戻ったら、オーナーの日本人の人が来た。ここで初めてミチコさんと会う。
お金もほとんどないので(取られたと言うより残って無い…)、その日はホテルの物置に泊めてもらうことにした。もっとも前のオーナーは客から金を取って泊めてたところだけど。

次の日はもちろん大使館にいく。

[1月7日]

大使館に行ったら同じような境遇の人が居たが、こちらは車の中の荷物を全部取られたと言う老夫婦だった。 大使館の人に事情を説明したら、航空券があったらイタリアを出国するだけの身分証明書を発行出来たらしいけど、自分の場合は航空券も取られてるし第一すでに帰りの飛行機に乗り遅れてる。
というわけなので新しいパスポートを発行してもらうことになったけど、 日本の新型パスポートは写真に制約が有って撮れる所がローマに2ヶ所しかないらしい。 手続きを済ましたあと、紹介された写真屋でパスポート用の写真を撮った20000リラ。結構高い。 できる限り早く帰らないといけないので明日の飛行機を取ることにし、 大使館には大急ぎで明日の朝にパスポートが出来る様にしてもらった。
航空券はJALのローマ支店に行って買おうとしたら、 正規運賃は高いので旅行会社で買うように言われた。
しかし、どっちにしても切符を買うお金が無い。 ミラノに居る母親の友人の木村氏に相談したら、立て替えてくれるらしい。 一通りの用事が終わるとお金も無いので出来ることはなくホテルの改装を手伝ってた。 もともと有った壁紙をはがしたり掃除したり。

[1月8日]

朝、タクシーで大使館に行ってパスポートを受けとりそのまま空港へ。

イタリア イタリア旅行
03/08/2003 A cura di Ciro