イタリアの歴史年表
la tavola cronologica il Regno d'Italia

La pagina di casa di Ciro

イタリア王国

統一以前の年表へ
月日出来事
18613/17サルデーニャ王国はイタリア王国となり、建国時の首都はトリーノ。
18616/6首相カヴール死去。
18616/12ベッティーノ・リカーソリ[Bettino Ricasoli]が首相に。
18623/3ウルバーノ・ラッタッツィ[Urbano Rattazzi]が首相に。
18628/12ルイージ・カルロ・ファリーニ[Luigi Carlo Farini]が首相に。
18628/29ガリバルディによる「アスプロモンテ[Aspromonte]の変」。敗北したガリバルディは足を負傷し、カプレーラ島に
18633/24マルコ・ミンゲッティ[Marco Minghetti]が首相に。
18649/28ピエモンテ出身のアルフォンソ・フェッレーロ・ラ・マルモラ[Alfonso Ferrero La Marmora]が首相に。
186412/31第2次アルフォンソ・ラ・マルモラ内閣
18652/3首都をフィレンツェに遷都。
18666/20第2次ベッティーノ・リカーソリ内閣
18666/20第三次解放戦争開始
18666/24クストーザ[Custoza]の戦いで、アルフォンソ・ラ・マルモラ将軍がオーストリアに敗北。
18667/20リッサ[Lissa]の海戦で敗北
18667/21ベッツェッカ[Bezzecca]でガリバルディが墺軍に勝利
18668/12オーストリアと休戦協定
186610/3ウィーンの和約でヴェネト併合に。
186610/21ヴェネトでイタリアへの併合を問う国民投票
18674/10ウルバーノ・ラッタッツィが首相(2回目)に。
186710/27ルイージ・フェデリーコ・マナブレーア[Luigi Federico Menabrea]が首相に。
18681/5第2次マナブレーア内閣。
18695/13第3次マナブレーア内閣。
186912/14ジョヴァンニ・ランツァ[Giovanni Lanza]が首相に。
18709/20ローマ入城。
1870ローマを強制的に併合するが、教皇との関係が悪化。
1871首都はローマに。
18723/10マッツィーニ死去
18737/10第2次ミンゲッティ内閣。
18763/25アゴスティーノ・デプレーティス[Agostino Depretis]が首相に。
187712/26第2次デプレーティス内閣。
18781/9国家の父ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世死去。
1878国王ウンベルト1世即位。
18783/3ローマ教皇レオーネ8世が即位
18783/24ベネデット・カイローリ[Benedetto Cairoli]が首相に。
187812/19第3次デプレーティス内閣。
18797/14第2次カイローリ内閣。
187911/25第3次カイローリ内閣。
18815/29第4次デプレーティス内閣。
1882独墺伊三国同盟締結。アッサブ[Assab](エリトレアの港湾都市)取得。
18826/2ガリバルディ、カプレーラ島にて死去
18835/25第5次デプレーティス内閣。
18843/30第6次デプレーティス内閣。
18852/5マッサワ[massaua](エリトレアの港湾都市)取得。
18871/26マッサワ付近のドーガリ[Dogali]での敗戦でイタリア軍500人が戦死。
18874/4第7次デプレーティス内閣。
18877/29デプレーティス首相死去
18878/7フランチェスコ・クリスピ[Francesco Crispi]が首相に。
18893/9第2次クリスピ内閣。
18895/2エティオピア皇帝メネリク2世[Menelik II]との間にウッチャッリ条約締結。マッサワの保有を確認
18901/1エリトレア併合
18912/6アントニオ・スタラッバ・ディ・ルディニ[Antonio Starabba di Rudini]が首相に。
18925/15ジョヴァンニ・ジョリッティ[Giovanni Giolitti]が首相に。
189312/15第3次クリスピ内閣。
18946/14クリスピ首相再任。
1895エティオピア[etiopia]侵攻。第一次エティオピア戦争(〜1896年)
18963/1エティオピアのアドゥア[Adua]の戦いで敗戦。5000人の伊軍兵戦死
18963/10第2次スタラッバ・ディ・ルディニ内閣。
18967/11スタラッバ・ディ・ルディニ首相再任。
18972/14スタラッバ・ディ・ルディニ首相再任。
18986/1スタラッバ・ディ・ルディニ首相再任。
18986/29ルイージ・ジローラモ・ペッルー[Luigi Girolamo Pelloux]が首相に。
18995/14ペッルー首相再任。
19006/24ジュゼッペ・サラッコ[Giuseppe Saracco]が首相に。
19007/29国王ウンベルト1世が無政府主義者ガエターノ・ブレーシ[Gaetano Bresci]により暗殺。王子のヴィットーリオ・エマヌエーレ3世がイタリア王に即位
19012/15ジュゼッペ・ザナルデッリ[Giuseppe Zanardelli]が首相に。
19032/3第2次ジョリッティ内閣。
19037/20ローマ教皇レオーネ8世死去
19038/9ローマ教皇にピオ10世が即位
19053/16トンマーゾ・ティットーニ[Tommaso Tittoni]が首相に。
19053/28アレッサンドロ・フォルティス[Alessandro Fortis]が首相に。
190512/24フォルティス首相再任。
19062/8シドニー・ソンニーノ[Sidney Sonnino]が首相に。
19063/28第3次ジョリッティ内閣。
1908ソマリア南部を保護領に。
190912/11第2次ソンニーノ内閣。
19103/31ルイージ・ルッツァッティ[Luigi Luzzatti]が首相に。
19113/30第4次ジョリッティ内閣。
19119/29オスマントルコに宣戦。伊土戦争が開始
191110/5リビア侵攻。トリポリ[Tripoli]とベンガージ[Bengasi]占領。
1911トリポリタニア[tripolitania)とチレナイカ[cirenaica]をリビア[libia]とし併合。
191210/18イタリア、トルコ間でローザンヌの和約[pace di Losanna]。ドデカネーゾ諸島[Dodecaneso]を取得。
19143/31アントーニオ・サランドラ[Antonio Salandra]が首相に。
191411/5サランドラ首相再任。
19148/20ローマ教皇ピオ10世死去
19149/3ローマ教皇ベネデット15世が即位
19155/24オーストリアに宣戦布告。第一次世界大戦に参戦となる。
19156/23ルイージ・カドルナ将軍[Luigi Cadorna]、イゾンツォ攻撃(第1次イゾンツォの戦い)。
19157/7カドルナ将軍、第1次イゾンツォの戦いで敗退。
19157/18カドルナ将軍、第2次イゾンツォの戦い。(-8/4)
19158/4第2次イゾンツォの戦いに敗北。
191510/18カドルナ将軍、第3次イゾンツォ攻撃。
191511/4カドルナ将軍、第3次イゾンツォ攻撃で敗退。(-11/4)
191512/2カドルナ将軍、第4次イゾンツォ攻撃で敗退。
19163/11対オーストリアにアジアーゴの戦い
19163/21第5次イゾンツォ攻撃
19166/18パオロ・ボセッリ[Paolo Boselli]が首相に。
19168/4第6次イゾンツォ攻撃。ゴリツィア占領
19168/28ドイツに宣戦布告
19179/14第7次イゾンツォ攻撃(-9/17)
191710/10第8次イゾンツォ攻撃(-10/12)
191710/29ヴィットーリオ・エマヌエーレ・オルランド[Vittorio Emanuele Orlando]が首相に。
191711/1第9次イゾンツォ攻撃(-11/4)
19175/12第10次イゾンツォ攻撃(-6/8)
19178/18第11次イゾンツォ攻撃(-9/12)。バインジッツァ[bainsizza]高地占領
191710/24第12次イゾンツォ攻撃は、カポレット[Caporetto]で敗戦。戦線はピアーヴェ川まで大幅に後退。
19186/15ピアーヴェの攻撃(-6/22)で勝利
19188/9ガブリエーレ・ダンヌンツィオがオーストリアのウイーン上空でビラを撒く
191810/24ヴィットーリオ・ヴェネト[Vittorio Veneto]の勝いで勝利
191811/3墺軍と休戦協定
191811/4ヴィットーリオ・ヴェネトで勝利
19192/7パリで平和条約
19196/23フランチェスコ・サヴェーリオ・ニッティ[Francesco Saverio Nitti]が首相に。
19199/10連合国と帝国解体後のオーストリアの間でサン=ジェルマン=アン=レー条約[trattati di Saint-Germain-en-Laye]が締結。トレンティーノとアルト・アディジェを併合。
19199/12ダンヌンツィオ、フィウーメ進軍。占領する。
1920国際連盟の発足と共に常任理事国に。
19205/21ニッティ首相再任。
19206/23第5次ジョリッティ内閣。
19207/13トリエステのファシスト行動隊がスラブ人民の家を焼き払う
19207/21ファシスト行動隊がローマの「アヴァンティ!」編集部を襲撃
19209/8ダンヌンツィオ、カルナーロ憲章[carta del Carnaro]を発布
192011/12ラパッロ条約により、ヴェネツィア・ジューリア、イストリア半島などが帰属
19217/4イヴァノーエ・ボノーミ[Ivanoe Bonomi]が首相に。
19221/22ローマ教皇ベネデット15世死去
19222/12ローマ教皇ピオ11世が即位
19222/26ルイージ・ファクタ[Luigi Facta]が首相に。
19224/16ラパッロにてドイツとソヴィエトが国交回復の条約締結。1922年のラパッロ条約。
19228/1ファクタ首相再任。
192210/28ファシスト党のローマ進軍
192210/30ムッソリーニが首相に
19237/24ローザンヌ条約でリビアとロードス島を含むドデカネス諸島を取得
19238/31コルフ島上陸
19241/27ローマの和約でフィウーメ併合
19251/3ファシスト一党独裁に
19292/11ラテラーノ協定(コンコルダート[Concordato])。
193510/2第二次エティオピア戦争。
19365/9エティオピア併合。ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世、エティオピア皇帝に
19365/イタリア帝国建国宣言
19392/10ローマ教皇ピオ11世死去
19393/12ローマ教皇ピオ12世が即位
19394/7アルバニア併合。ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世アルバニア王に
19406/10仏英に宣戦布告。
194010/28ギリシャに宣戦布告。
1940日独伊三国同盟
19411/23英軍にトリポリを占領される
1941ソ連に宣戦布告
194112/11アメリカに宣戦布告
1941英軍によりエティオピアから撤退、エティオピアは英保護領に
19435/12パンテッレリーア島陥落。トゥニジアの伊軍降伏
19437/10連合軍がシチリアに上陸
19437/13米軍がローマ空襲
19437/13パレルモ陥落、トラーパニ陥落
19437/25ムッソリーニ失脚し逮捕。ピエトロ・バドリオ[Pietro Badoglio]将軍が首相に。
19437/26ドイツ軍、イタリアに侵攻
19439/8イタリア政府、連合軍と休戦協定。
19439/11バドリオ首相再任。
19439/12ムッソリーニ、ドイツ軍の助けで脱獄
19439/23ムッソリーニ、ガルダ湖畔サロ[Salò]にイタリア社会共和国樹立
194310/13イタリア王国政府、ドイツに宣戦布告。
19441/22米軍、アンツィオ[Anzio]に上陸
19444/22バドリオ首相再任。
19446/4連合軍によりローマ解放。
19446/18第2次ボノーミ内閣。
19446/22モンテフィオリーノ[Montefiorino]に解放軍の共和国が樹立
194412/12ボノーミ首相再任。
19454/25全地域の開放を宣言。
19454/28ムッソリーニ殺害される
19455/2戦闘終了。
19456/21フェッルッチョ・パッリ[Ferruccio Parri]が首相に。
19457/15日本に宣戦布告
194512/10アルチーデ・デ・ガスペリ[Alcide De Gasperi]が首相に。
19465/9ウンベルト2世即位
19466/2共和制か王制かの国民投票を実施。
1946イタリア王国は国民投票により共和制を選択。イタリア共和国となる。

イタリア イタリアの歴史
04-11-2007 A cura di Ciro