イタリア旅行 : IL Mio Viaggio in Italia 1991

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私の最初のイタリア旅行についてです。思い出しつつ作成中。
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再びローマ

カメラに入りきらなかったコロッセオ。

ローマに帰って来ました。
帰って来たとは言っても、最初に訪れた時はタクシーから、 ナトリウムランプに照らされたオレンジ色のローマでしたが、今度は春の明るいローマです。
で、到着したらいつも最初にする事、それはホテルを探す事なんですが、ローマのテルミニ駅には インフォメーションセンターが無いのです。ホテルの名前が書いてある看板が一つ。
それをぼけっと眺めていると、声を書けて来る男が一人、「ホテル?」とかって言ってます。
その男は名札のような物を見せて来ます。どうも正式な案内人だと言いたいらしい。
とても怪しいんですが、何故か私はとりあえずそのホテルに決めてしまいました。
ん〜、何故かは記憶が定かではないんです。多分、若気のイタリーですね(失敬)。
確か、安全な場所に有るとかなんとか…。

まあ、ホテルの場所は簡単にわかりました。取り合えず入ってみると普通のホテルです。
ただ、カウンターの下に日本語で、詐欺紛いのバーに注意せよとの張り紙が有ります。
感心しながら、見てました。が、問題はそれからだったんです。
部屋を取ろうとすると、どうやら部屋が足りないので相部屋でいいかと言っています。
日本人だと言うので、OKして部屋に行くと二段ベッドがいくつか置いてある狭い部屋でした。
写真を撮ってなかったのは残念です。部屋には日本人が5〜6人居ます。
話によるとどうも騙されたようです…。
で、話が違うとカウンターに行って、値段を負けさせました(まあ私はこれぐらいで納得)。
それでも、それで一泊5000円位しました。高いです。

その後、食堂で日本人同士喋っていると、他にも人がやって来ます。
「私は倉庫で寝る見たいです」という人も居たんで、
「この食堂も危ないなあ」と言っていたら本当にホテルの人が来て、 「食堂で寝る人が居るんで解散してくれ」と言われた。
もちろん一同唖然。しかも、寝るのは日本語が出来る中国人の女の子。かわいそう。

なにはともあれ、このホテルには二度と来るかと心に誓いました。


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イタリア イタリア旅行
15/10/1996 A cura di I'Cirou Takao