イタリア旅行 : IL Mio Viaggio in Italia 1991

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私の最初のイタリア旅行についてです。思い出しつつ作成中。
よく「ナポリを見て死ね」と言います。これで心置き無く死ねます。
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ナポリ(Napoli)

ホテルで同室となった人にぜひナポリに行きましょうと誘われ一路ナポリに…。
ほかにも募集したんですが、二人旅になってしまった。
これを読んではたと気付いた鈴木さん連絡下さい。

で、列車に揺られてナポリ到着。
まずはナポリからカプリ島に行こうと思って港へ行くバスを探しました。
バスの券を買おうとする所に日本語を喋るおばあさんが現れて、 我々を案内してくれる。

そのおばあさん、神戸に住んでたらしく中山手通りに有る洋裁のお店にいたとか。
私は明石(神戸の隣)から来た事を告げると嬉しそうにしていた。
このおばあさん英語を喋っていたんだけど、 かなり興奮しているのか段々イタリア語と英語と日本語が混ざって来て、
ついに一緒に居た鈴木さんは何を言ってるのかわからなくなった見たい。
もちろん私はわかったんですがね。

春風が吹き付ける中船着き場に到着。我々は時刻表を良く見た。
なんと、当分船が来ない。これでは夜になってしまう。
あきらめて付近の観光をした。もっと早く出発すべきであった。

右は3月なのにTシャツ一枚の
私の図
(Castel Nuovo:新城の前)。
Castel Nuovo
この日はとっても暑かったんですが、帰りは凄く寒かったです。

さて夕食はピッツァを食べる。
うう、本場のピッツァはなんておいしいんだあ…。安いし。
マルゲリータが200円なんて。
ついでにスパゲッティカルボナーラも食べる。実はこの時が初挑戦。
今思えばここのはちょっとミルクっぽくて、そこがおいしかった。
近くに居た子供達に珍しそうに見られてたので、話しかけてみた。
さらに必殺技の日本のコインを見せる。やはり、穴が開いている50円と5円は珍しいらしい。
とっても喜んでいた。50円をあげた子供がリラでいくらか尋ねてきた。
600リラ位だというと律義にも同額のリラをくれようとするもんだから、 ここで「5リラもってない?」と尋ねた。
そう、小学校の時に良く言った「1リラ、2リラ…5リラ」である。
でも、子供達は持ってないと言った。がっかり。
ちなみにリラは正確にはリーラで複数形はリーレなんで5リーレである。
5もチンクエ(cinque)と言うんでシンケリーレにしか聞こえない。
でも、ゴリラはゴリラなんで教えてあげたら良かったなあ。
子供達の中にはこの店の子供も居て、親に報告してた。
「あのおばさんにコインをもらった〜。」
「お、おばさん」なに?私はまだ若いわい!…じゃなくて男なんですが。
我々はイタリア人には夫婦に見えたみたいであった…。

私は夕食で飲み切れなかったワイン1/2ボトルを手にして、ナポリを去った。


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イタリア イタリア旅行
21/08/1996 A cura di I'Cirou Takao