未解放のイタリアと呼ばれる、イタリア統一から外れた地域。
イタリア人、つまりイタリアの文化とイタリア語を話す人々の地域。
スイス
- ティチーノ州
- イタリア語を話す人々が住んでいるスイスの中のイタリア。
最近フォックスタウンとかで人気。
イタリアの飛び地カンピョーネ・ディターリアがある。
ミラノ公国の一部だったが、1516年にスイスに占領された。
フランス
フランス側の大部分はあまり問題にされない。
比較的温和に領土解決したからか?
ただ、第二次世界大戦では当たり前の様にイタリア領として占領した。
サヴォイア地方:Savoia
- フランス語ではサヴォワ。
イタリア王家サヴォイア家の出身地と言われているこの地方は、
サルデーニャ王国がイタリアを統一しイタリア王国になった時、
それをフランスに認めさせるためニッツァと共にフランスに委譲され今に至っている。
もともとフランス語の地域。
第二次世界大戦で取り戻したが敗戦によりフランスに戻った。
コルシカ島:Corsica
-
場所的にもサルデーニャ島とリグーリア州に挟まれた島。
ここで話される方言はイタリア語(トスカーナ語)の方言でコルシカ語。
ちなみに日本での呼び名のコルシカとはイタリア語の名前で、フランス語ではコルス。
なぜこの島がフランスかと言うと、
ジェノヴァ共和国の領土だったが、元来独立心が高くて独立運動が盛んだったため、
手に負えないと判断してフランスに売り渡したため。
その1年後この島でナポレオンが生まれたが、
そのナポレオンにジェノヴァ共和国は滅亡させられる。
もしコルシカ島がそのまま独立したり、ジェノヴァのままだったら歴史はどうなってたんだろう?
パリに行かずにミラノに行ってたかな?
第二次世界大戦で一時取り戻したが敗戦によりフランスに戻った。
ニッツァ:Nizza
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現在フランスのニース [Nice]。
サヴォイアと同様にイタリア王国創建時にフランスに承認を得るため割譲された。
この時、ニッツァ出身のジュゼッペ・ガリバルディは激怒したと言う。
第二次世界大戦で取り戻したが敗戦によりフランスに戻った。
モナコ公国:Principato di Monaco
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イタリアの西側、ニッツァ割譲がなければ、ここもイタリア内の独立国になっていた?
ここの人が話すモナコ語はイタリア語の方言扱い。
ロイア:Roia
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イタリアの地図で言うと、西側のリグーリア州とピエモンテ州の三角形のすき間にある。
1947年まではイタリアの領土(クーネオ県)だったが、第二次世界大戦の敗戦のどさくさに紛れてフランスに奪われた。
このためヴェンティミリアからトリノ方面に鉄道に乗ると、途中フランスをとおる。
ヴェネツィア・ジューリア
ヴェネツィアの陸の領土としてあった地域。
この地域が一番問題になっている。
イストリア:Istria
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トリエステの南はスロヴェニア領、大部分はクロアツィアとなっている。
イタリア語を話す人も多少いる。
このあたりもヴェネツィア共和国の領土だったが、その終焉と共にオーストリア領となる。
1918年にはイタリア領となり、第二次世界大戦後、ユーゴスラヴィアを経て、現在に至る。
トリエステ:Trieste
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現在のトリエステは町の中心はイタリアになっているが、周辺地域はスロヴェニア領となっている。
第二次世界対戦後はトリエステ自由国となり、トリエステを含むA地域と南部のB地域に分けられた。
1954年にA地域がイタリアに返還されて今に至る。
ダルマツィア:Dalmazia
アドリア海を挟んで東側のダルマツィアはイタリア語での名前。
英語由来でダルマティアとかダルマチアとも言われる。
現在はクロアティアの領土で住民のほとんどがスラブ人だが沿岸地方は歴史的にヴェネツィア共和国の領土でイタリア人に近い人種が多かった。
この地域で話されていたダルマツィア語はイタリア語に近い言葉(当時のイタリア人からすると方言の様な感覚か?)だったが、
イタリア語に置き換わって行き、1898年に最後の話者アントーニオ・ウーディナ氏が事故死すると死語となった。
これらの地域も、一時的にはイタリア領に併合されたが第二次世界大戦に敗戦したため失ってしまった。
ラグーザ:Ragusa
- シチリアにも同名の街があるが、こちらは現在はドゥブロヴニクとなっている。
ザーラ:Zara
- 現在のザダル。ヴェネツィア配下にあったりなかったり。
エーゲ海
ここにも長い期間ヴェネツィア共和国の領土だった島がいくつかある。
リンク
未解放のイタリア
L'Irredentismo
Venezia Giulia-Istria-Dalmazia