イタリア旅行 : IL Mio Viaggio in Italia 1992

La pagina di casa di I'Cirou TAKAO

私の2度目のイタリア旅行についてです。思い出しつつ作成中。

成田

[12月18日]

今回も成田からの出発です。しかしアリタリアの切符は買えず、 ANA(全日空)を使ってロンドンまわりということに。(この頃は直行便は無かった)
ANAは新しくできた成田の第二ターミナルからの出発で前回とは全然違う場所から。
きれいな空港でウイングまで水平に動くバスのようなもので移動。飛行機に乗る。
機内のサービスなどは全然憶えて無くて、まわりはみんなロンドン目当てで、 イタリアに行こうなんて人は居ないようにみえた。 こっちは独りイタリア語の確認などをしつつ、そのまま眠る
と言うわけで?気がついたら到着しようとしてるではないですか。
「…以上でヒースロー空港の乗り換えの案内を終わります。ロンドンの見所を…」
ありゃ、乗り換え見逃した。まあいいや多少はEC内に乗り換える人も居るだろうし。 ついて行けばわかるだろう。飛行機は着陸姿勢に入って、暗いヒースロー空港に到着。

ロンドン

ロンドンのヒースロー空港は冬の夕暮れ時でとにかく暗いイメージ。
ここから英国航空に乗り換えてローマまで行く。なんか適当に飛行機を降りてしまった。
ところが、やっぱり機内でみたようにロンドンで降りる人がほとんどで、 どこへ行けばいいかさっぱりわからず独りになってしまった。
なにやらうろうろしてると、なにやら荷物の検査をされた。
行き先表示板のようなものがあるがローマ行き表示されてない。 NICEとか書いてあってナイス?なんだそれと思いつつもこの辺かなあと思うが、 確かな確証が取れないしイギリス国内線ぽい、そもそも席が決まって無い。
どこかでチェックインする必要があるような気がする。でもなんだかわからない。
で、全日空の人に聞こうと思って着いたところまで戻ってみた。
がすでに戻れないところまで来てるらしく止められた。
で、また荷物の検査をしてさっきのところに戻る。う〜ん。よくわからない。
というのも英語がさっぱりわからないのだ。
空港に書いてる英語なんて見たことない英語だし、イタリアに行くもんだから辞書もない。 これが、国内線なのか、それとも国際線なのかもわからない。 というかどこからのっていいかもわからない。
助けを求めようとして国際電話をかけようとしたが、使い方もわからない。
チェックインして無いのでどのウイングから飛行機が出るかもわからない。
「もしかして旅はここでいきなり挫折するんでは?」という思いが頭を駆け巡る。
まずいこれはまずい。前回はイタリア直行便だったからこんなことで困らなかった。
乗りかえ初体験の私は旅の最初からいきなりつまづいた。
このままイタリアに着けずに帰りの飛行機が来るまで空港で野宿か?
やばすぎる・・・。
そうだ、帰ったときに乗りかえ出来ずにいけなかったと言う恥を考えれば、 ここでの恥なんて大したことないじゃないか。
と、思ったので、 唐突にチェックイン前のクーポンをその辺の人に見せて「Where?」と聞きまくった。
そして、首を振る人々を次々とこなしつつさっきと同じルートを戻れるところからやり直してみた。
そうこうしてるうちに、クーポンを両手で前にかざした怪しい日本人は結局さっきの 行き先表示板がある所へ誘導されて来た。
またまた荷物の検査を受けるところで「もういいだろう」と思って横を抜けようとしたけど、 やっぱり荷物の検査をされた。
戻って来たけど、チェックインのカウンターもわからないのでその辺の英国航空の職員に きいてみたけどよくわからないし通じて無い。 困った顔をしてたら「本当はここでは出来ない」(と言ってたと思う)と言われつつも チェックインの手続きをしてくれた。
そこでわかったけど乗り場はすぐそばだった。
しばらく待つとローマの表示が出た。 「ローマってROMEになってて綴り間違えてるやん」 とか馬鹿なことを思いながら(当時は知らなかった)、安心した。
そして、イタリア人らしい人が一杯居る待ち合い場所で待って無事ローマ行きの飛行機に 乗れた。
しかし、こんなもんですまない問題の旅ははじまった。


イタリア イタリア旅行
14/09/1998 A cura di I'Cirou Takao